傘ブランドの地位確立

セント・ジェームズ・ストリート23番地
1838年、トーマスが事業を始めてわずか10年後、ジョン・タリスはセント・ジェームズ・ストリートの商人たちを描いたイラスト入り地図を発表しました。
その中で、23番地は「Brigg(ブリッグ)」と記され、傘、ステッキや鞭を専門に扱う店として紹介されています。
傘はブリッグ家の事業の中で際立った存在となり、英国社会に欠かせない防水アクセサリーとして急成長を遂げました。1898年までに、ブリッグは日常的な傘の修理を手がける小さな工房から、貴族の顧客向けに高品質で個性的な傘を高価格で提供する名門ブランドへと発展しました。
世界の多くの文明においても、従者が持ち運ぶ携帯用の天蓋は、権威や地位を示す象徴とされてきました。 ブリッグの傘もまた、その伝統を受け継ぎ、実用品でありながら格式を体現する存在として発展していったのです。

ブリッグ傘の伝統
傘は日よけとしても用いられ、その名称もこの起源を反映しています。「パラソル」は太陽を遮るもの、「アンブレラ(雨傘を含む傘全般)」はラテン語の「umbra(影)」に由来し、影を作る役割を示しています。もともと日よけとして、特に裕福な女性たちの間で広がりました。1780年頃には、傘は流行に敏感な女性の装いの一部となり、繊細な肌を守るだけでなく、社交の場でのさりげない魅力の演出にも役立ちました。
17世紀半ばまでにフランス人は独自にパラソルを製造し、雨よけにより適した名称として「パラプルイエ」を生み出しました。1715年頃には、マリウス氏が折りたたみ式のパラプルイエを発表し、使わないときはポケットに便利に収まると宣伝されました。
「パラソル」は日よけという意味を保ち続けましたが、「アンブレラ」は雨よけの代名詞となりました。これは、おそらく英国人が「日陰(shade)」を雲と結びつけて理解しやすかったためだと考えられます。
傘は英国社会ではなかなか受け入れられませんでした。パラソルを手にした女性は白い肌と自立を誇示できましたが、傘を持つことは、悪天候時に輿や馬車といった贅沢な移動手段ではなく、徒歩に頼らざるを得ないことを意味していたからです。

英国社会での傘の普及
長い間、傘を持つことが許されていたのは医師と聖職者だけでした。1780年代になるとその普及が目に見えるようになり、裁判記録には盗品として傘が記載されるまでになりました。
1920年代には、風刺作家たちが傘を社会的地位やマナーに結びつけ、ユーモアの題材として扱うようになりました。
驚くべきことに、一世代のうちに、傘を持つことの意味は大きく変わりました。かつては「馬車や輿といった屋根付きの乗り物を持たない=徒歩で移動している庶民」を示すものだったのが、やがて「買い物や仕事道具といった荷物から解放された自由」を象徴するようになったのです。第一次世界大戦と第二次世界大戦の間の時期になると、「街の紳士」がきちんと折りたたんだ傘以外のものを持ち歩くのは無作法とされ、階級の違いを浮き彫りにしました。
傘の普及を後押ししたのは技術革新でした。初期のヨーロッパ製傘は木製の骨組みに塗装革を貼ったもので、重く扱いづらく、使用人に持たせる必要がありました。しかし、鯨骨や籐の骨に、防水加工をした絹や木綿の生地を張るようになったことで、傘はぐっと軽くなり、片手で気軽に持ち歩けるようになりました。
1800年までに、これらの軽量な傘はイギリスで広く出回るようになり、傘職人が骨組みを組み立てて生地を縫い合わせる家内工業が生まれました。チャールズとトーマス・ブリッグ も1820年代の広告から、この段階で業界に参入したと考えられます。

傘の技術革新
19世紀に登場したスチール製の骨組みは、傘をより軽く、丈夫で、細身にし、大きな革新をもたらしました。その代表的なメーカーには、バーミンガムのヘンリー・ホランドや、ストックスブリッジのサミュエル・フォックスがありました。
さらに1980年代には、ミシンの普及が新たな技術革新をもたらしました。ミシン縫いのスピードが評価された一方で、ブリッグのような高級メーカーは、手縫いの傘のカバーの方が優れていると認識していました。
第二次世界大戦後、熟練した縫い手が不足するまで、この伝統は守られてきました。現在ではミシン縫製が一般的ですが、ブリッグは今なお生地パネルを一枚ずつ手で裁断し、縁を折り返して丁寧に縫い上げる仕立てを続けています。これにより、量産の廉価品とは一線を画しています。

ジェントルマンの傘
第一次世界大戦後、ステッキの人気は下火になりました。自動車の普及や、戦争で負傷した退役軍人の歩行補助具としてのイメージがその一因と考えられます。 一方でブリッグにとって幸運だったのは、ちょうどその頃に傘が「紳士の必須アイテム」として台頭してきたことでした。
1930年代のロンドンでは、ビジネスマンがきちんと折りたたんだ傘を持たない姿は考えられず、事実上ステッキの役割を果たす存在となっていました。
こうした時代の移り変わりに合わせて、ブリッグは極めてスリムな 「センテナリー」 紳士用傘コレクション を発表しました。